2015年 06月 03日
ラストマン
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私の朝の楽しみのひとつは日経新聞の『私の履歴書』を読むことである。先月は日立製作所の元社長、川村隆さんの手記であった。毎回、そのお人柄を偲ばせる素晴らしい内容であった。リーマンショック後、日立の危機が訪れた時に、敢えて火中の栗を拾うべく69歳で社長に就任され、すさまじい努力で起死回生、見事に日立を再生に導かれた。
川村さんは、一旦は社長要請を辞退しようと思われたが、ラストマンの精神でお引き受けになられたそうである。ラストマンとは船の船長のこと。「嵐が来て万策尽きて船の沈没やむなしとなった時、すべての乗客や船員が下船したのを見届けて、最後に船から離れるひと」だから、船長を「ザ・ラストマン」と呼ぶのである。危機的状況の中で、敢えてこのラストマン、つまりは最終責任者の役回りを引き受けられた、そのくだりがとても印象的であった。
医院のリーダーである私も常にラストマンの精神で、よりよい医療、そして医院の運営を行っていくことをあらためて覚悟した次第である。
川村さんは、一旦は社長要請を辞退しようと思われたが、ラストマンの精神でお引き受けになられたそうである。ラストマンとは船の船長のこと。「嵐が来て万策尽きて船の沈没やむなしとなった時、すべての乗客や船員が下船したのを見届けて、最後に船から離れるひと」だから、船長を「ザ・ラストマン」と呼ぶのである。危機的状況の中で、敢えてこのラストマン、つまりは最終責任者の役回りを引き受けられた、そのくだりがとても印象的であった。
医院のリーダーである私も常にラストマンの精神で、よりよい医療、そして医院の運営を行っていくことをあらためて覚悟した次第である。
by nakamura_eye
| 2015-06-03 16:40