2016年 02月 22日
菜根譚
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菜根譚は、中国に内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた1600年頃に書かれた処世訓の最高傑作のひとつと言われています。松下幸之助や田中角栄ら各界のリーダーたちから座右の書として愛されてきたそうです。
その中の有名な文章として、「人を信ずるは、人いまだ必ずしもことごとく誠ならざるも、己れすなわち独り誠なり。人を疑うは、人いまだ必ずしも皆詐らざるも、己れすなわちまず詐る」というものがあります。これは、人を信ずることが出来れば、たとえ相手の心が誠実でなく騙されることがあろうとも、こちらは誠実を貫いたことになり、人を疑ってかかるならば、たとえ相手が正直であってもこちらは偽りの心で接したことになる、というもの。つまりは、人を騙すより、信じて騙されるほうが誠を貫いたことになりましである、ということでしょうか。
人は本来「善」なのか「悪」なのか。善であれば、あえて統治しなくても物事は治まりますが、もし悪だとすると、しっかり統治していかなければ世の中は乱れ、悪がはびこります。老子は、「天下多忌諱 而民弥貧」、天下に禁令が増えれば増えるほど人々は貧しくなるものだ、と説いています。つまり、統治者が複雑な施策をすればするほど悪政になっていく。法令が厳しくなれば、その網を潜り抜けるような巧妙な手口の犯罪が増えていくもの。ある程度放置しておいたほうが世の中はうまく治まるとしています。
結局のところ結論は出ませんが、適度な統制は必要でしょうが、ある程度は信じて放っておくことも必要。私個人としては「性善説」をベースに物事を考えていきたいと思っているのですが、甘い考えの中で精神的に消耗してしまうことも多々あります。
その中の有名な文章として、「人を信ずるは、人いまだ必ずしもことごとく誠ならざるも、己れすなわち独り誠なり。人を疑うは、人いまだ必ずしも皆詐らざるも、己れすなわちまず詐る」というものがあります。これは、人を信ずることが出来れば、たとえ相手の心が誠実でなく騙されることがあろうとも、こちらは誠実を貫いたことになり、人を疑ってかかるならば、たとえ相手が正直であってもこちらは偽りの心で接したことになる、というもの。つまりは、人を騙すより、信じて騙されるほうが誠を貫いたことになりましである、ということでしょうか。
人は本来「善」なのか「悪」なのか。善であれば、あえて統治しなくても物事は治まりますが、もし悪だとすると、しっかり統治していかなければ世の中は乱れ、悪がはびこります。老子は、「天下多忌諱 而民弥貧」、天下に禁令が増えれば増えるほど人々は貧しくなるものだ、と説いています。つまり、統治者が複雑な施策をすればするほど悪政になっていく。法令が厳しくなれば、その網を潜り抜けるような巧妙な手口の犯罪が増えていくもの。ある程度放置しておいたほうが世の中はうまく治まるとしています。
結局のところ結論は出ませんが、適度な統制は必要でしょうが、ある程度は信じて放っておくことも必要。私個人としては「性善説」をベースに物事を考えていきたいと思っているのですが、甘い考えの中で精神的に消耗してしまうことも多々あります。
by nakamura_eye
| 2016-02-22 08:45