2017年 04月 29日
旧友
|
毎朝、NHKニュースを見ながら通勤している。
その日は、JR福知山線脱線事故から12年経った4月25日であり、一番被害が大きかった2両目に乗っていて奇跡的に助かった、当時大学生の中野さんが取材されていた。彼は車両に挟まれ、両足の切断という危機もあったのだが、担当医の適切な処置のおかげで復帰でき、今は作業療法士として活躍しているそうだ。作業療法士を目指すきっかけとなったのが、昼夜を問わず中野さんの元を訪れ、励まし、治療にあたった担当医の患者さんに寄り添った治療であったとのこと。なんとすばらしい医者がいることか。その医師がインタビューに答えていた。
ん?どこかで見た顔。ちょっと老けたけど、間違いなく冨岡だ。そう、大学時代の親友の冨岡だ。彼はサッカー部、僕は野球部と、所属は違っていたがなぜか気が合い、一緒に遊び(学び?)酒を酌み交わした仲だった。それなのにもう20年以上会っていなかった。
冨岡、がんばっているなあ~。とても嬉しかった。学生時代から明るく、ひとに優しく、真っ直ぐに生きていた彼は、白髪は増えたけどそのままであったから。
早速、彼の所属大学経由でメールを送ったら、しばらくして返事がきた。
彼は、東日本大震災でも、また熊本地震でも、被災者の方の治療とケアを行っているらしい。そして、昨年10月に「大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会(JRAT)」を立ち上げ、その事務局長を務めているそうだ。そのメンバーの中心に中野さんもおられるらしい。事故のつらい経験を乗り越え、このような活動をされるのはすばらしいことである。
冨岡君と久々に会う約束をした。一杯やりながら、昔話とともに彼の奮闘記をゆっくり聞きたいと思っている。
その日は、JR福知山線脱線事故から12年経った4月25日であり、一番被害が大きかった2両目に乗っていて奇跡的に助かった、当時大学生の中野さんが取材されていた。彼は車両に挟まれ、両足の切断という危機もあったのだが、担当医の適切な処置のおかげで復帰でき、今は作業療法士として活躍しているそうだ。作業療法士を目指すきっかけとなったのが、昼夜を問わず中野さんの元を訪れ、励まし、治療にあたった担当医の患者さんに寄り添った治療であったとのこと。なんとすばらしい医者がいることか。その医師がインタビューに答えていた。
ん?どこかで見た顔。ちょっと老けたけど、間違いなく冨岡だ。そう、大学時代の親友の冨岡だ。彼はサッカー部、僕は野球部と、所属は違っていたがなぜか気が合い、一緒に遊び(学び?)酒を酌み交わした仲だった。それなのにもう20年以上会っていなかった。
冨岡、がんばっているなあ~。とても嬉しかった。学生時代から明るく、ひとに優しく、真っ直ぐに生きていた彼は、白髪は増えたけどそのままであったから。
早速、彼の所属大学経由でメールを送ったら、しばらくして返事がきた。
彼は、東日本大震災でも、また熊本地震でも、被災者の方の治療とケアを行っているらしい。そして、昨年10月に「大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会(JRAT)」を立ち上げ、その事務局長を務めているそうだ。そのメンバーの中心に中野さんもおられるらしい。事故のつらい経験を乗り越え、このような活動をされるのはすばらしいことである。
冨岡君と久々に会う約束をした。一杯やりながら、昔話とともに彼の奮闘記をゆっくり聞きたいと思っている。
by nakamura_eye
| 2017-04-29 08:25