2018年 07月 23日
生老病死
|
仏教の言葉で、生まれること、年をとること、病気をすること、死ぬこと。そのすべてが、人として免れることができない苦しみ(四苦)であるという思想。
お釈迦様は、人の苦しみは生老病死の四苦にあると、修行をしながらこのことを深く考えた。そして悟りを開いた時、人生は老いや病など苦しみの連続であるが、心のあり方を見直せば、これらを克服することが出来ると説いた。これは仏教の基本ともいえる。
さて、生まれ生きていくことも「苦」であるという思想はちょっとネガティブではあるものの、確かに「苦」であることも事実ではあるが、考え方や気の持ちようで前向きに明るくポジティブに生きていくこともできるものである。しかし、その先の誰でも年老いて病気になって死んでいくところは、これはどう考えてもポジティブに捉えることは難しい。
超高齢社会の日本では、今後、この「老い」と「病」はさらに深刻な問題としてクローズアップされてくるであろうが、人は必ず死ぬのであるから、どのように最期を迎えるのかは元気なうちから考えておかねばならなくなるであろう。限られた資源(これにはマンパワーも含まれる)により、どのようにして最後のプロセスである医療と介護をしていくのか。2025年問題がまもなく訪れる。
お釈迦様は、人の苦しみは生老病死の四苦にあると、修行をしながらこのことを深く考えた。そして悟りを開いた時、人生は老いや病など苦しみの連続であるが、心のあり方を見直せば、これらを克服することが出来ると説いた。これは仏教の基本ともいえる。
さて、生まれ生きていくことも「苦」であるという思想はちょっとネガティブではあるものの、確かに「苦」であることも事実ではあるが、考え方や気の持ちようで前向きに明るくポジティブに生きていくこともできるものである。しかし、その先の誰でも年老いて病気になって死んでいくところは、これはどう考えてもポジティブに捉えることは難しい。
超高齢社会の日本では、今後、この「老い」と「病」はさらに深刻な問題としてクローズアップされてくるであろうが、人は必ず死ぬのであるから、どのように最期を迎えるのかは元気なうちから考えておかねばならなくなるであろう。限られた資源(これにはマンパワーも含まれる)により、どのようにして最後のプロセスである医療と介護をしていくのか。2025年問題がまもなく訪れる。
by nakamura_eye
| 2018-07-23 13:44